10月24日の日記
2013年10月24日最近思うこと。
XX(誰でもいい。身近な人を想像して欲しい)のことを、あの人変わってるよねと言う人がたまにいる。この変わってるという言い方が僕は気になる。
正直、いい大人になって、平然と人前でXXって変わってると言えちゃうような人は、僕はちょっと...と思ってしまう。
だって、人なんて、みんなそれぞれ違うし、人からみれば自分は変わってると映る時もあるだろうし、逆もそうだと思うのだ。そういうことは、年を取れば自然に分かることだし、人のことを変わってるといい年して言うと、なにか、自分はまるで極めてまっとうだと言ってるようにも聞こえて嫌なのだ。そんな人間なんていないと思うから。人間だれしも何かしら誰かから見たら変わってるというか嫌なというか欠点というべきものが必ず1つくらいはあるはずなのにと。
そういう時はせめて面白い人とか別の表現があるだろうと思うのだ。こういう一言で、大体、その人の人格性というのを垣間見れると思う。自分が素敵だなと思う人は、やはりそういったところの表現もやはり素敵なのだ。逆にいえば、そういうところが素敵じゃない人は、やはり素敵には決して映らないのだ。
だから言い方には気をつけよう、と自分を戒めたかった訳ではない。
結局自分の考え方、性格というのは、隠そうとしても、どうしても言葉の端々に滲み出てしまうものなのだなと思ったのだ。結局は、自分の人格を向上させなければ、いくら言い方に気をつけてもボロがでるのだ。簡単な道はないなとつくづく思い、頑張らないとと思ったのだ。
XX(誰でもいい。身近な人を想像して欲しい)のことを、あの人変わってるよねと言う人がたまにいる。この変わってるという言い方が僕は気になる。
正直、いい大人になって、平然と人前でXXって変わってると言えちゃうような人は、僕はちょっと...と思ってしまう。
だって、人なんて、みんなそれぞれ違うし、人からみれば自分は変わってると映る時もあるだろうし、逆もそうだと思うのだ。そういうことは、年を取れば自然に分かることだし、人のことを変わってるといい年して言うと、なにか、自分はまるで極めてまっとうだと言ってるようにも聞こえて嫌なのだ。そんな人間なんていないと思うから。人間だれしも何かしら誰かから見たら変わってるというか嫌なというか欠点というべきものが必ず1つくらいはあるはずなのにと。
そういう時はせめて面白い人とか別の表現があるだろうと思うのだ。こういう一言で、大体、その人の人格性というのを垣間見れると思う。自分が素敵だなと思う人は、やはりそういったところの表現もやはり素敵なのだ。逆にいえば、そういうところが素敵じゃない人は、やはり素敵には決して映らないのだ。
だから言い方には気をつけよう、と自分を戒めたかった訳ではない。
結局自分の考え方、性格というのは、隠そうとしても、どうしても言葉の端々に滲み出てしまうものなのだなと思ったのだ。結局は、自分の人格を向上させなければ、いくら言い方に気をつけてもボロがでるのだ。簡単な道はないなとつくづく思い、頑張らないとと思ったのだ。
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